「まず、言葉があった。」で聖書ははじまるらしい。
言葉は『他』と、『なにか』を伝達し、共有しようとするもの。
『なにか』の大部分はきっと『想い』のようなものなんだと思う。
人はひとつでは心細くて、『想い』を共感し、一緒になりたがる。つまり、生きるとは『他』とひとつになって安心、心地よくなりたがること。と言えるかもしれない。
だとしたら、『想い』って尊い。
『他』を思う『想い』は物凄いものなのかもしれない。
たとえば、
人が持ち得る最大のチカラ、
全てのはじまり、人が持ち得る本当のつばさは、
『想い』かもしれない。
そして
それこそ、『愛』というのかもしれない。
考えすぎかな?
きっとこんなロジック自体、
方程式みたいな、どうでもいい話なんだ。
ただ、
ただ、
抱きしめればいい。