まだまだ困難があるだろう。
綺麗事で通用することばかりじゃないだろう。
ロシナンテⅡ世とたまごかけご飯をかき込みながら、新聞を読んでいた。
難病の人が絶望と闘かっているという記事があった。
ときに人は
言葉だけなら簡単さ。とか
その人にはなれないからわからない。とか
そんな風に思う、思ってしまう。
でも、気持ち、心を伝えたいから
言葉がある。
一人だけではなくて
つながりたい、一緒になりたいから
生きているのではないか。とも思う。
長く生きていると、
(人生で何度も、ではないが、)
分岐点で、心が熱く叫んで、
ココは闘わなくてはいけないと思う時がある。
みっともなくても、
怖くても、苦しくても、
たとえ、ダメになったとしても、
たった一人でも、
自分であり続けるために
ひとつの想いを抱えて
足掻かなければときがある。
(僕にはあった。)
その時、
多くの人は離れていくだろう。
思わぬ逆風に耐えなければならないだろう。
社会的孤立は本当に辛い。
(助けてくれた人はいっぱいいた。これは決して忘れてはいけない。)
いつか挫ける僕に告ぐ。
短い文章じゃ書ききれない。
まだまだ僕はつづきを生きている。
ただ
孤独に負けてはいけない。
絶望してはいけない。
これだけはほんとうだ。
(安西先生は言う。「最後まで…希望を捨てちゃいかん。あきらめたら、そこで試合終了だよ。」)
(ダメだ。再考。才能がない。まだうまく文章と想いがまとまらない。)