自助と命乞いは違う。
最近、自助という言葉をよく見る。
僕は、浅く、安い意味で使われているなと思う。
自分の浅い経験で悪いが、色々、逆風の強い、世の中の醜いところが見えてしまう経験をした僕は、自助とは自分だけを助ける意味ではないと思うようになった。
僕は浅い経験で、最新の科学技術なんかを使えば、殺そうと思えば、いとも簡単に殺される可能性があるんだな。と覚悟した。だからといって怯えてそういう力の意に沿うように、命乞いをするように生きるのは違うと思うようになった。そんなの自助でもなんでもない。ただの洗脳ゲーム内の言葉だ。そんなむごい、理不尽な、救いのない世界なら、いっそ殺されてあの世で懐かしい人々と酒でも呑んでいる方が幸せだと思った。
そんな世界で、誰も自分なんか守れない。
僕が思う、今できる自助は、誰かを助ける事であの日の自分を救う事。
自分の歩んできた路の小石を拾ったり、なんらかのカタチで人の役に立ったり、道案内をしたり、誰かに寄り添うことで、あの日の理不尽な力で押し潰されそうだった孤独な自分を救う事。
おなじ思いをする人を失くす事。
それこそが僕の本当の自助。