特別な椅子。
新聞で見た記事のなかに、インターナショナルスクールの小学科で、感情的になったときに座って、感情と理論を別々に冷静になって考える特別な椅子があったと書いてあった。
自分の幼稚園時代の記憶にも似たような経験があった。僕の通っていた幼稚園は仏教系で、環境の影響もあって問題ばかり起こしてしまう僕は、その度に良く、正座による座禅をさせられた。
座禅をして、感情的になって問題ばかり起こす自分を何度も反省、かえりみさせて頂いた。
人生が道を求める修行であるという見方をすると、今の自分にはとても大切な、為になった貴重な体験だった。今の時勢では虐待では?と言われてしまう教育かもしれないが、とても大切な時間、経験だった。足が短いままで育ったこと以外、感謝をしている。
幼少期に必要な、とてもいい教育だったと今からみれば、誤解せずにそう言える。
当時はそうは思えなかった時もあったが…。
(最後に言い訳をひとつ、当時から僕の人生は複雑な側面がすでにあったのだと想像できる。人間のできていない僕を逆撫で、挑発して面白がって観察している極めて特殊な環境もあったような気もしている。)