深い霧の中で
今日はハタと
こう思ったわけです。
そりゃあ、僕も普通の欲深い人間なので、
得をしたい。いいめをみたい。損はしたくない。とか思ってしまいます。
でも、目の前のそういうものに振り回されていたらキリがないな。欲しいモノなんて、欲望なんて次から次へと湧いてきてキリがないもんな。とも思います。
世の中には、持っている人がそれだけに満足せず、持っていない人を振り回して遊んでいるのかも?と思ってしまうような事柄もあるし、もしそうなら、そんな悪趣味な持っている人になって幸せか?好きなモノに囲まれて死ねたら満足か?とどうしても思ってしまいます。そして、僕は、そうではないような気がします。NO!と言いたいです。
ここで、山下達郎さんの『蒼氓』。
生き続けることの意味、
それだけを待ち望んでいたい。などの言葉。
僕にとっては、
そちらのほうが
最後には、大事なような気がします。
真摯にそちらのほうと向き合っていたいと思います。
そして、その姿勢が確かなものであり、他人(ひと)に優しく、利だけを求めず、ありのままの自分の形で、できるだけ他人(ひと)を傷つけぬよう柔軟であれば、辿り着くところに辿り着くのだと思います。カタチだけの幸せが、本当の幸せではないのだと。
生き続けることの意味、
それだけを待ち望んでいたい。