僕は多分、本質的に「冷たい」んだ。
ほんの少し言葉が使えたから。
(風の流れもあったんだけど…)
ロジカルに形だけの正論が、
言い訳が、言えたから。
僕は本当に大切なことを見失っていた。
もちろん、そういう「駆け引き」のある、
いじめ、迫害だったのだけど。
取り返しがつかないほど、
周りの人達を傷つけた。
正論にそぐわない、人の(或いは)弱さを、
僕を思い遣る優しさですら切り捨ててきた。
結局、僕も、周りの人の『本当』を見ず、
或いは頭に血が昇って、見て見ぬ振りをして、
イズムを優先させたんだ。
人に囲まれて、支えられて生きていく価値のない人間なんだと思う。
独りで野垂れ死ぬべき人間なんだ。と思う。
父は、最期、『幸せ』だっただろうか。
僕は、本当に困難だった頃、傍で寄り添って、歩みを合わせてくれた父を、最期、独りにしなかっただろうか。
偽らず言う、晩年、今でいうクレプトマニアに近い苦しみを背負った父を、(涙を流したかもしれないが、)正論でなじって、叱りつけ、孤独にしなかったか。
その苦しみ、悲しみをちゃんと分かち合っていただろうか。
わからない。
きっと、できていない。
どんなに、正しそうに生きていても、身の周りの人達を傷つけ、孤独にさせ、『本当』に気づいてあげられなくて、身近な人を大切にできなくて、なにが正しさだ。なにが愛だ。
僕は僕が一番、嫌いだ。
ただ、許してくれるなら、
まだ、間に合うのなら、
今、自分の周りに居てくれる人達の本当に気づいて、決して依存ではなく、寄り添いたい。
『本当』に寄り添い、『笑顔』を見たい。
『分かち合いたい。』