「本音」について
本音とはなんなんだろう。
僕は米津玄師のララバイさよならという曲が好きである。これは僕の性格の悪さである。
本音とは後ろ暗い、パーソナルで、自分勝手で、嫉妬や妬みに満ちたものだろうか?僕は勝手な解釈でその曲が、驢馬の耳をありがたがり、その俗さを楽しむことのくだらなさを心の中で「ケッ」と言っていそうなところが好きなのである。
他人の幸せそうなところを見るのはちょっと嫉妬を感じる瞬間が無いわけではないが、幸せなものである。
僕は歳をとって色々な経験をして、こう感じるようになった。
僕のこういう性格、考え方をボンボンだとか平和ボケとか優等生とか勝手に思っている人が身の周りにいるが、色々な体験をしてきて僕にとっては当たり前のことなのである。
そう思い込んでいる周りに「ケッ」と思うのである。
例えば、虐げられてきたお詫びにと言われて、自分一人だけ幸せにしてあげるといわれても、一青さんの歌ののように、それは本当の幸せだろうか?と思うし、色々体験して他人の苦しみとか痛みとかも想像できるようになったところもあるのである。
歳をとってくれば、本音も形を変え、丸くなることもあるのではないかと思っている。
通りすがりの他人の幸せを願える本音というのも幸せなのではないだろうか?
単純ではないのである。